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2020.7.19 説教要約 ヤコブ3:8-12「主を賛美する舌」

  • 2020年7月30日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ヤコブ3:8-12            2020.7.19

「主を賛美する舌」         井上創牧師


賛美の祈りは、感謝の祈りと似ているかもしれません。

どちらもまず、わたしたちが思い浮かべるのは神さまがしてくださったことです。


ただし、感謝をするとき、どれだけ神さまありがとうという気持ちになっても、

感謝しているのは「わたし」です。


一方、賛美は。

神は誉め讃えられよ。神さまこそ誉め讃えられるべき存在なのだ。

この告白こそが賛美です。


賛美とは、主語を「わたし」から「神さま」に帰すことなのです。


礼拝は、一週間を自分の思うままに過ごしてきてしまったわたしたちが

もう一度神さまのもとに集い、

自分という重荷を下ろし、

主であるお方から励まされ、

また荷を背負い直し一週間へと遣わされていくところです。


礼拝そのものが、自分自身という重荷を神さまに帰していくところなのです。


実に賛美することは、礼拝そのものであると言っても過言ではないでしょう。



ですから、わたしたちが気をつけなければならないのは、

賛美の主語が「わたし」にならないようにすることです。


「わたし」が賛美する。

「わたし」が賛美歌を歌うのが好き。気持ちいい。

「わたし」が深い瞑想状態に入れる。

「わたしたち」が一つになれる。


そういうことが、賛美の目的になってしまわないように。


賛美は神さまのものです。

「神さまの御名が誉め讃えられますように」。

賛美歌は、歌うわたしたちの心を神さまに捧げていると感じさせてくれます。


賛美歌が、他の歌謡曲と一線を画しているのは、まさにこれゆえなのです。

 
 
 

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