「わたしの羊を飼いなさい」 2020.5.3
ヨハネによる福音書 21章15~17節
今日の聖書箇所、イエスさまとその一番弟子のペトロは
「愛している」という言葉を合わせて6回繰り返しています。
しかし、この「愛している」という言葉は、
原語のギリシア語では二種類の言葉が使われています。
一つは「アガペー」を動詞にしたもの(以下A)、
もう一つは「フィリア」を動詞にしたもの(以下F)です。
最初、イエスさまはAで「愛しているか」と問います。
ペトロはしかしFで答えるのです。
Aには、自分を省みない無償の愛という意味があり、
Fは友愛のような親しい間柄で交わされる愛という意味があります。
イエスさまはまさに十字架によって無償の愛を示してくださいました。
ペトロもそれはわかっている。わかってはいても、自分はAを使うことができない。
そんな人間的な弱さをまだ身の内に感じているのではないでしょうか。
二度目のイエスさまの「愛しているか」もAです。ペトロの答えはF。
三度目のイエスさまの「愛しているか」は、何とFです。
ペトロは三回も同じ質問をされたことを残念に思っているようですが、この変化に気づいていないのでしょうか。
おそらく、イエスさまは
Aと言えないペトロのところまで降りてきてくださったのでしょう。
Fでよい、と。それがあなたの全力の愛ならば、AでもFでもいいではないか、と。
イエスさまはきっと、Aに辿り着けないペトロのことがかわいくて仕方がないのでしょう。
Fとしか言えないペトロに三度、「わたしの(小)羊を飼いなさい(世話しなさい)」と教えてくれています。
羊とは、教会の群れ、その一人一人を指すのでしょう。
互いを慮り合う交わりを豊かなものとしていくことで、
きっとわたしたちも不十分ながらもこのままで、
イエスさまの求めておられるAに近づいていくことができるのではないでしょうか。
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