top of page

2020.5.17 ヨハネ14章15~21節 「わたしたちを補う霊」

  • 2020年5月19日
  • 読了時間: 2分

「わたしたちを補う霊」    2020.5.17

ヨハネによる福音書14章15~21節 


愛とは何か。難しい問いです。


愛はわたしたちそれぞれの中に、いろいろな形で存在しているからです。

しかし、聖書において確かなのは、神さまはわたしたちを愛しているということ。

そして、それが十字架によって表されているということです。


自分の身を投げ出すほどに、相手を愛おしく思う。

この愛が、わたしたちそれぞれに与えられた賜物を通して、表出するときにいろいろな形になります。

だから、愛を規定することは難しいのです。



わたしたちがイエスさまの十字架に感謝して、誰かを大切にしようとする時、

神さまはわたしたちに弁護者としての聖霊を与えてくださいます。


弁護者ですから、これは、わたしたちの罪をかばう存在だということです。

これはおかしな話しです。わたしたちは誰かを大切にしようとしているのです。

悪いことをしようとしているのではないはずです。


しかし、人間の罪とはそれほどに根深いのです。


よくよく自分自身をみつめてみると、愛を施そうというときでさえ、

本当に他者に譲り切ることができずにいる自分がいることに気が付きます。


「これはいいものだ」と思って与えているものが、

本当に相手にとって「いいもの」となっているか。


「わたしがいいと思っているもの」でしかないということを忘れて、

さもいいことをしている気になってしまっていることがないでしょうか。



そのようなときでえ、わたしたちの間には愛が流れることがあります。

「この人は自分のためにここまでしてくれるのか」。

そういう思いが、伝わることがあるのです。


わたしたちの内に、わたしたちの間に、神さまの霊が働いてくださっているからです。

この世界には神さまの霊が満ちあふれています。


まずは、それを見て、知ること。


愛は、そのときわたしたちの間に流れるのです。

たとえわたしたちのなすことが不完全な業であったとしても。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.3.1説教要約 ルカ 19:1-10  「救いがこの家を訪れた」      井上創牧師

ザアカイは木に登ってまでもイエスさまを見たいと願いました。一つ前の物語、目の見えない人が周囲の制止を振り切ってイエスさまを求めて叫び続けた心情と重なるように思えます。ザアカイもまた自分の在り方に揺らぎを覚え、心の奥底では助けを求めていたのではないでしょうか。  ザアカイはイエスさまから「あなたの家に泊まりたい」と言われたときに喜びます。地位の高い人や高名な人が集落を訪れたとき、その人を泊めるのはそ

 
 
 
2026.2.15説教要約 ヨハネ 11:17-27「このことを信じるか」       井上創牧師

亡くなったラザロの姉妹であるマルタは、「死者が終わりの日に復活する」という教えを知っていました。「イエスさまが神さまに願うことは、かなえられる」ことも知っていました。おそらく、マリアも知っていたでしょう。しかし、実際に兄弟の死を前にしたとき、彼女たちの心は悲しみに支配されていました。そこでイエスさまはマルタに問うのです。「信じるか」と。  わたしたちは証拠を見せられたり、証明してもらえれば、安心し

 
 
 
2026.2.8説教要約 ネヘミヤ 2:11-20「神さまのご計画」         井上創牧師

ネヘミヤは故郷であるエルサレムの町が荒廃していることを聞いて悲しみました。かつて大国によって攻め滅ぼされたときのまま、城壁も門も壊れた状態で放置されているというのです。  ネヘミヤは仕えていた王から帰国の許可をもらい、更には復興のための支援を受けて、故郷へ向いました。彼はしかし、用心深く一人で町に入り、修復が必要な箇所の視察も夜の内に行いました。復興を良く思わない人たちが町の内外にいたからです。

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page