説教要約 ヨハネ19:14-22 2020.4.5
「主は背負う」 井上創牧師
ユダヤ人たちは繰り返しイエスさまを訴えて、亡き者にしようとします。
彼らにとってイエスさまを十字架につけることは、目的を達成すること、
つまり勝利することでした。
この企みは成功します。
その頭上に掲げられたのは「ユダヤ人の王」という言葉。
これは「ユダヤ人全体が罪だ」ということです。
勝とうとしたことが、負けに結びついたのです。
わたしたちの身近においても、自分が勝つことで負けた相手が悲しむことがあります。
自分の意見を通すことで相手が気持ちを引っ込めざるを得ないということがあるのです。
イエスが十字架で負われたわたしたちの罪とはこのようなものではないでしょうか。
わたしたちが何かに勝った気になる。
何かを成し遂げた気になる。自分の思いを貫徹した気になる。
そのとき目の前に掲げられているのは傷ついた隣人。
頭上には「あなたが勝利した証し」と掲げられるのです。
わたしたちの中にある奢りが敗れ去るときが十字架の時なのではないでしょうか。
今、富を奪い合うために進めてきたグローバル化の結果、
国の境を超えて病まであっという間に広がるようになりました。
誰が勝って誰が負けたかという勝負のさなかに、
実は全ての人間が敗者となるという現実がつきつけられたのです。
これも十字架の時と言えるのかもしれません。
これをもって今一度わたしたちが神さまの前に頭を垂れる機会とできたらと思うのです。
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