「目に見えない希望」 2020.4.26
ローマの信徒への手紙 8章18~30節
イエスさまは「やがて」わたしたちを救ってくださるのでしょうか。
これから先に起こることを、わたしたちは待っているのでしょうか。
そうではありません。
2000年前の十字架によって、もうわたしたちは救われたのです。
今わたしたちは、「もう救われた者」としてこの時を生きています。
この「救われる」とは、「神さまとの関係を取り戻すこと」と
言い換えることもできるでしょう。
この世界を造り、わたしたちをこの世界に置いてくださった神さまが、
あなたに“生きよ”と言っておられる。
「あなたはわたしにとってこれほどまでに大切なのだ」。
神さまはその言葉を、十字架を通してわたしたちに伝えてくださいました。
その声を聞いて、信じることが、救われるということです。
だから、わたしたちは「やがて」救われるのではないのです。
しかし、わたしたちには肉体があります。
この肉体を通して、様々な痛みや、悩みを感じます。
そこから逃れたいと、救いを求めたりもするのです。
パウロは、ではその肉体は捨ててしまおう、とは言いません。
神の子であるキリストは、ご自身もまた肉体を持ち、その肉の故に痛みを味わわれました。
そして、その肉体を持って死に勝利し、復活したのです。
だから、わたしたちは肉体を離れることによって、
この痛みから逃れようとはしないのです。
わたしの存在を確かなものとして愛してくださる神さまが、
この痛みを持つ肉体をもそのままに受け入れてくださる。
そのことを希望としているのです。
わたしたちは地上にあって絶え間なく呻いています。
祈ることさえできないときにも、
心の内にある声が確かに神さまには届いているとパウロは言います。
わたしたちと神さまをつなげてくれる力、それが霊です。
この霊がわたしたちの間に満ち、教会を形作っているのです。
だから、目には見えないつながりを信じる者にとって
教会は希望のしるしなのです。
教会の庭の桜が満開になりました。
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