説教要約 マタイ5:21-26 2020.3.8
「あなた好みの神さまでなきゃダメですか」
井上創牧師
イエスさまは十戒にある「汝、姦淫するなかれ」という戒めについて、
実際に不貞を働いたかどうかではなくて、それを心に思い描くことで罪として数えられると教えておられます。
仮に、他の誰かに目移りするということがないとしても、
わたしたちは、神さまから与えられている目の前の誰かに不満を持つということならあるかもしれません。
それが、近しい関係になればなるほど、不満の種が見える機会も増えるわけです。
この小さな種が、大きく育つと関係を破綻させるきっかけにもなりかねないこともあることでしょう。
自分好みではない相手のあの部分。
それを理由に、相手と離れてしまいたくなるとしたら、それは残念なことです。
そうやって、相手にないものを、他の誰かに求めていくような考え方は、他人の妻をみだらな目で見ることと似ているのではないかと思います。
自分の思い通りにならないから、自分の好みとは違うから。
そういう理由で妻を離縁してはならない。
これは、神さまと人間の関係に置き換えることもできるでしょう。
神さまとの関係も、思い通りでないから、自分好みでないからと言ってすぐにご破算にしてしまってはならないのです。
イエスさまは、実際の夫婦の関係についてお話ししていながら、神さまとわたしたちの関係についてもお話ししておられるのではないでしょうか。
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