説教要約 マタイ5:38-48 2020.3.22
「完全な者」 井上創牧師
下着を奪おうとする者には上着まで。
当時の上着は、布団の代わりでもありました。
衣食住の内、着る物だけではなく、住むこと、その寝床まで相手に譲っていこうという勧めは、実際的なことだけではなく、そういう違った角度から相手の思いを受け止めていこうとする姿勢についても言及しているように思えます。
本当に相手が求めていたこと、言わんとしていたことは何なのか。
もしかしたら、そこに誤解があるかもしれません。
だから、一ミリオン行けと強いられたら、「一緒に」二ミリオン行くのです。
一緒であるということ。
同じ体験をしてみることで、相手の視点がわかり、関係が変わっていくということがあるからです。
相手が何か自分に嫌なことをしてくるなら、そこには理由があるはずなのです。
それは何か。
相手の視点に立ってみることで、その相手は悪人から隣人へと姿を変えていくのではないでしょうか。
イエスさまは、「完全な者」となるようにわたしたちに勧めます。
これは、まったく悪も罪もない清く正しい人間になるようにということを勧めているのではありません。
神さまの思いを受け止めていこうとするなら、それはやがて、わたしのために神さまが備えてくださった出来事、人物、その相手をも受け止めていくこととなる。
敵にさえ、悪にさえ、思いがあることを知ろうとする姿勢。そこに訪れる心の平安。
その安らぎを得た者が「完全な者」と呼ばれるのではないでしょうか。
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