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2020.2.9説教要約 マタイ4:23-5:12「癒された人の幸い」

  • 2020年2月19日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ4:23-5:12

「癒された人の幸い」      井上創牧師


イエス様の宣教の結果、病人と共に大勢の群衆がイエス様に従ってきました。

5章の1節に「イエスはこの群集を見て、山に登られた」とあります。

つまり、イエス様は、この山上の説教を、まさにこういった病人たちに、

あるいは身近にいる病人のために自分の心を痛め、遠い道のりを厭わずにイエス様のところにまで連れてくる人たちに向かって。


であれば、3節の「心の貧しい人」とは、単純に、心が狭いとか、感受性が鈍いとか、寂しさを抱えているとか、

そういう誰もが何気に自覚しているような個人的な内面の問題を言っているだけではなくて

本当に、病気の人。それを「病」として、自らの業として認識している人。

悪霊に悩まされるという感覚を、自分のものとして知っている人。

心が縛られて、身動きが取れなくなる。自分ではどうしようもできない。

そういう切実な痛みを抱えている人です。


そういうあなたに、しかし、神様が臨んでいてくださる。

神様の支配が及ぶ。イエス様が共にいてくださると、そう言われているのです。


この「幸い」の箇所で言われている、どれもがそうなのではないでしょうか。

病むほどに、この世界の出来事と真剣に向かい合ったり、

誰かのその痛みを我が事のように憂いたり、嘆いたりできる人。


それはもう、神様が創造した人間としての心を確かに保っていて、

そこはもう神様のおられるところなのだ。

イエス様はそう語っておられるのではないでしょうか。


 
 
 

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