説教要約 ヨハネ1:10-13 2020.12.13
「かき消されない声」 井上創牧師
神さまの「光あれ」という力ある「言」は、その混沌に一つの秩序を与えるものでした。ごちゃごちゃの中から、名付けられた一つ一つがあるべきところに、あるべき形で収まっていく。これが創造の御業なのです。しかし、「あれ」と願われて存在しているのにも関わらず、わたしたち世にある者は、互いがこの「あれ」という言葉に依拠した神さまの創造物であるということを忘れてしまいます。そのことを認められないで、「あなたは間違っている」「その有り様には我慢がならない」と責め合ってしまうのです。残念なことです。
しかし、わたしたちはこの神さまの「言」。「あれ」という「言」。その「言」が、実際に生きる者となられたイエス・キリストを信じています。誰もが、わたしたちの周りの全てが、神さまによって「あれ」と願われ、「よし」とされていることを受け入れていくのであれば、「神によって生まれた」者となれることを知っています。「神の子となれる資格」を得るのです。
わたしは「あれ」と願われている。神さまに造られたのだ。神さまが十字架で命を捨てるほどに、このわたしを愛し、肯定してくれている。その一点を通って、自由な世界へと導かれていく。「資格」という言葉によって表わされているのは、その入り口のようなものなのではないでしょうか。神さまがわたしに「あれ」と言ってくださっている。この声は外からのどんな力によってもかき消されることはないのです。
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