top of page

2020.11.8 説教要約 ローマ15:1-6「強い者」

  • 2020年11月21日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ローマ15:1-6 2020.11.8

「強い者」            井上創牧師


 イエスさまは、全知全能なる神さまであるのにわざわざ人間となってくださいました。高みにいるのではなく、低いところへ降りてくるのがわたしたちの神さまです。このイエスさまに倣っていくこと。これは教会のチャレンジの一つです。数の多い者が力を持ち、理屈が通った意見が尊重され、声の大きさで物事が決まる。そういう議会制民主主義の限界の中で、「小さな者、弱い者の有り様を認めて受け入れていく」「歩みのゆっくりな人に合せる」。これが、パウロの示す「新しい群れの姿」なのではないでしょうか。


 しかし、わたしたちは必ずしも「強い者」ではありません。自分の弱さや至らなさを感じているのではないでしょうか。パウロもまた弱さを抱えた人だったことが、彼の書いた手紙からもわかります。その彼が自分を強いと言うのはどういうことでしょうか。

パウロは言います。「強いのは神さま」であると。その強い神さまが弱いわたしの隣にいてくださる。それを知っているわたしたちだからこそ、それがどれほど険しい道であったとしても「主と共に歩める強さ」を手に入れることができるのではないでしょうか。


 十字架という、死の手前にまで打ち砕かれた、その弱さの中に表わされている強さ。その他者に寄り添う強さによってこそ、教会は強く立てられていくのではないでしょうか。


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page