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2020.11.29 説教要約 ヨハネ1:1-5「あれと言われた」

  • 2020年12月12日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ヨハネ1:1-5 2020.11.29

「あれと言われた」        井上創牧師


万物は「言」によってなったと聖書は伝えます。「光あれ」と神さまが願ってくださって、光が生まれました。神さまが「あれ」と望んでくださった。そして、それが実現した。これが「言」によってなったということです。この「言」がイエスさまなのだとヨハネは証しします。イエスさまはその地上での歩みにおいて、「あれ」という神さまの思いを体現し続けたのです。


「あれ」の反対は「なくなれ」ということだとして。それは、「お前はいなくなれ」「あなたはダメだ」「いらない」という言葉、思い、圧力なのではないでしょうか。イエスさまはこの世界にはびこるそれらの力に対抗し、立ち向かわれたのです。「あれ」と言い、「あれ」と願い、「あれ」と行い続けたのです。「なくなれ」という力の、最も具体的な現われが「死」です。イエスさまは、その死へと向かわれ、それに勝ち、その先へ行かれた。そう聖書は証しします。「あれ」という神さまの思いが、「なくなれ」という死の力を凌駕したのです。


聖書は言います。「言」の内に命があった、と。神さまが「あれ」と望んでくださった。その「言」によって生まれた命。たとえそこに「なくなれ」と死が覆い被さってきたとしても、この命はかき消されることはないのです。命は人間を照らす光です。わたしたちがただ生きてここにあること。それがもう、神さまがそれを望んでくださっていることの証しなのではないでしょうか。

 
 
 

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