top of page

2020.11.1 説教要約 ヨハネ13:20「神が遣わす者」

  • 2020年11月21日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ヨハネ13:20 2020.11.1

「神が遣わす者」         井上創牧師


 わたしたちは、至らぬところの多い人間であるからこそ救いを求めて教会に行くのではないでしょうか。教会は、行けば清い人となる浄化装置ではありません。葬儀の際に用いられる祈祷の式文においても思い出されるのは、わたしたちが誰も、罪を負ってこの世界を生きたということです。そして、その罪を赦されて天においても地においても安らぎを得ているということです。


 わたしたち人間は誰もがきれいに生き、潔く死ぬわけではないのです。生きづらい世を生き、去りがたくあがきながら去ることもあるのです。そして、それだからこそ人の生き死にはわたしたちの心に届く何かのメッセージを持ち得るのではないでしょうか。

 

 イエスさまは十字架に掛かる前の晩に、弟子たちの足を洗いました。一日の旅を終え、疲れ切ったその足は決してきれいなものではありません。しかし、それをイエスさまは洗ったのです。これは、わたしたちの汚れ、人には隠しておきたいような部分に触れてくださったということなのではないでしょうか。


 そのように、わたしたちの全てを受け入れてくださる方を救い主と信じ、わたしたちの先達はそのままの有り様をもって天に召されていったのでしょう。わたしたちも、罪赦され、天の国に受け入れられたものとして、地上での残りの日々を安らかに過ごしていくことができたらと願うのです。


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page