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2020.10.25 説教要約 ヘブライ6:9-12 「忘れない」  

説教要約 ヘブライ6:9-12 2020.10.25

「忘れない」           井上創牧師


年を重ねるということは、それだけ多くの誘惑に耐え続けてきたということでもあるのではないでしょうか。誘惑とは、わたしたちを神さまから離そうとする働きのことです。「もうダメなんじゃないか」という怯え、失望。そういうわたしたちを揺るがす誘惑のひとつは、認知症ではないでしょうか。神さまの存在を知り、信じ、委ねていることが安心であり、救いであるとするなら、その存在を認知できなくなるとしたらどうでしょうか。信じている自分自身さえも認知できなくなるとしたら。


信仰するとは主体を神さまに返すということ。自分の力を頼みにするのではなく、身を委ねることです。「わたしが」ではなく、「神さまが」に主語を変えて話すこと。つまり、「わたしが」神さまを覚えていられるかではないのです。「神さまが」わたしを覚えていてくださるのです。


自己の認識は失われていくとして、それでも神さまがわたしを捉えていてくださるのだ。その信仰に至ることで、わたしたちは認知症の恐怖から解放されるのではないでしょうか。自分が神さまから離れてしまうのではないかという誘惑に打ち勝てるのではないでしょうか。わたしが忘れでも、神さまは忘れないのです。生まれてから今日まで、わたしが神さまを忘れることはあっても、それでも神さまは見守り続けてくださいました。そのことに気づいて感謝しながらこの日々を過ごしていくことが安らぎとなるのではないでしょうか。

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