2019.9.29説教要約 ルカ15:11-32「神さまの捜しもの」
- fujimikougenchurch
- 2019年10月7日
- 読了時間: 2分
ルカ15:11-32 2019.9.29
「神さまの捜しもの」 井上創牧師
たとえ話に登場する父親は神さま、息子はわたしたちのことであろうと思われますが、
前の二つのたとえと違い、神さまは失ったものを捜しに行きません。
息子の帰りを待つのみです。
何だか冷たいようにも思えます。しかし、おそらくそうではないのです。
父は、息子を信頼していたのではないでしょうか。この子ならばきっと気がつくはず、と。
息子の意志を尊重し、その心根の強さを信じてくれていた。
だから、捜しに行きたい気持ちを我慢して、本当は心配だけれども、耐えて、待つことにしたのではないでしょうか。
確かに、父親は家を出て、捜しに行きはしませんでした。
しかし、毎日戸口に立って、帰ってくるのは今か今かと待ち続け、その地平線に、景色の奥の奥に、息子を捜し続けていたのです。
そして、遠くに、ボロボロになって、悔い改めて戻って来た息子を見つけたならば、それとばかりに一目散に走り寄って抱きしめてくれたのです。
今、「お父さんのもとで、もっとも低い身分から始めたい。」
そういう思いを息子は持ち続けています。
それでも父親は、自分の息子として、戻って来たあなたを心から大事にしてくれるのです。
神さまが与えてくれた賜物や命を、自分のものであるかのように、好き勝手に使うのではないのです。
しもべとして、神さまに、そしてこの世界に仕える。
それが、神さまの子と呼ばれる、悔い改めた者のあり方なのではないでしょうか。
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