説教要約 ルカ14:25-35 2019.9.22
「自分さえよければ?」 井上創牧師
イエスさまは、父を、母を、家族を憎めと言っています。
そして、自分をも憎めと。
実は、この憎むという言葉は、どちらかと言えば、
その優先順位を問うような意味があります。
弟子になるならば、何を大事にしていくべきなのか。そういうことが問われているのです。
家族を大切に思う気持ちは悪いものではありません。
しかし、家族、仲間内、気の合う者、同じような考え方の者たちで集まって、互いを大切にし合うということは、その群れの中と外を分けるという考えにつながっていきます。
自分たちさえよければいい。
その考え方では、内にある者を大切にするあまり、外にある者が敵になってしまうかもしれないのです。
イエスさまは、自分の十字架を背負って従っておいでと、わたしたちに呼びかけています。
それまでの自分が背負ってきたもの。わたしたちが無意識にも縛られてきた物。
それらから解き放たれて、神さまの思いに心を向けなさいということなのでしょう。
33節に、自分の持ち物を一切捨てるようにとの勧められているのは、支配とは反対の、相手に譲っていくことを意味しています。
これが子に全てを譲る「父なる神」の愛なのです。
相手に譲っていくとは、自分の味を捨てて、味気ない人間になってしまうことではありません。
「相手のために」という愛、イエスさまの塩気がわたしたちを、愛に生きる人として、塩味たらしめ続けるのです。
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