top of page

2019.9.15説教要約 フィリピ1:15-26「肉にとどまる」           

  • fujimikougenchurch
  • 2019年9月23日
  • 読了時間: 2分

説教要約 フィリピ1:15-26 2019.9.15

「肉にとどまる」          井上創牧師


パウロは、妬みの気持ちや、自分の利益を求めるような思いからであったとしても、

キリストが告げ知らされることは喜びだと言っています。


人の思い、動機がどのようなものであったとしても、

キリストの名は、神さまの力はそういうものを超えて、絶大だと。

パウロは信じていたのではないでしょうか。


死ぬことは喜ばしいこと。

その先でイエスさまに会うことができるから。


そして、生きてイエスさまのために働くことができるのも、喜び。

それは、生きて肉にとどまることが、あなたがたの励ましとなるから。


このまま生き続けて、いつの日か、フィリピの教会の人たちと会うことができたとしたら。

神さまがパウロを助け、いつでも守っていてくれたことを、あなたがたは知ることになる。

そして、そういう神さまのことを心から誇らしく思えるのに違いない。

自分が生き延びたいからではない。

パウロは自分の命が神さまのために用いられるから、それが喜びなのだと言うのです。


この肉をもって、わたしたちにも証しできるのかもしれません。

パウロのように用いていただく喜びを感じることができるのかもしれません。

手放していく過程で、何度もイエスさまの声を聞くことができるのかもしれません。

自分のためではなく、誰かのために生きていくことができるのかもしれません。


それならば、限界まで。最後の時まで、この肉にとどまることを誇りと思って生きていくことができたらと思うのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025.1.12説教要約 ルカ 17:11-19 「いやされた人」 

重い皮膚病を患っている十人に、イエスさまは「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言います。当時は、このような病気にかかって治ったとしても、祭司たちがそれを確認し許可しなければコミュニティーに帰ることはできない決まりになっていました。十人は、自分の体が治るのを待たずに...

 
 
 
2025.1.5説教要約 ヨハネ 16:16-24 「イエスを見る」

イエスさまは弟子たちに「しばらくするとあなた方はわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」と言いました。これは、イエスさまの復活について言っているのでしょうか。それとも、再臨についてでしょうか。...

 
 
 
2024.12.29説教要約 ルカ 2:28-35「新しく始まる命」

人によっては、地上で生きる日々は苦しみと虚しさに満ち、いっそ死んだ方がましだとさえ思えるときもあるかもしれません。シメオンは幼いイエスさまと出会い「今こそ安らかに世を去ることができる」と喜びました。シメオンは年を重ねて生きなければならないことに疲れを感じていたから、去ること...

 
 
 

ความคิดเห็น


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page