2019.12.29 説教要約 マタイ2:1-12「その家は誰の家か」
- fujimikougenchurch
- 2020年1月7日
- 読了時間: 2分
説教要約 マタイ2:1-12 2019.12.29
「その家は誰の家か」 井上創牧師
イエスさまが生まれたのは、おそらく、白い石造りの家です。
こういった家は今でもテレビのニュースなどで見ることができます。
テロリストが隠れていたという言い訳のような名目のもと、一般の人たちの家が爆撃され、小さい子どもたちの命が奪われたというような、悲しいニュースです。
母親の腕の中で眠りに就いたその子どもたちの上に、悪意が落ちてきたのです。
ヘロデ王にとっては幼子の命を狙うことは当たり前のことでした。
その子が誰であろうと、秩序と平和を守るために、すべきことの一つでしかありませんでした。
どこかの国の大統領にしても同じ事でしょう。
その日を平穏に始めるために、朝のコーヒーでも飲むように、爆撃の命令を出す。
その家に誰が住んでいるのか、無関心なままに。
この無関心はしかし、私たちの中にもあるのではないでしょうか。
どこで誰が、どんな目に遭おうが、知ろうともせずにテレビのボタンを押す。
その指と、この無関心は、どこかでつながっているのではないでしょうか。
あの崩れた家に、イエスさまは生まれたのです。
占星術の学者たちは、その家を訪ねました。
捧げられたのは、地上の権力を表す黄金。天の神さまを表す乳香。そして、それらをつなぐために立てられる十字架を表す没薬でした。
天と地は隔てられ、幼子の上には悪意が臨んでいる。
崩れ落ちるであろう、その家を後にする学者たちに神さまは告げられるのです。
「別の道を行け」と。「その道ではだめだ」と。
このクリスマスの時、小さな命として来てくださったイエスさまを思い、わたしたちが何に向かい、何を捧げて生きようとしているのかを、もう一度考える時となればと願うのです。
コメント