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2019.11.3 説教要約 ルカ18:18-30「与えられたものを返す

  • 2019年11月14日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ルカ18:18-30 2019.11.3

「与えられたものを返す」      井上創牧師


イエスさまは、お金や地位を頼みとする人に、「すべての物を売り払って、それを施せ」と教えます。

これは、文字通りそのように受け取ってもいいのですが、わたしたちが頼みにしているものから手を離せということであるようにも思えるのです。

それは、この世にあるいろいろなものに縋りながら生きているわたしたちにとって容易なことではありません。


永遠の命に至る道を求めて彷徨うわたしたちに、イエスさまは言います。

「人間にはできないことも、神にはできる」。


限りある人間の、この借り物の命や、財産に、自分の存在を託すのか。

家族や知り合いの心に、記憶に残ったとしても、それもまた限りある命であるなら、やがて消えてしまう。

わたしたちは誰を頼りにするべきなのか。

誰の中に残るべきなのか。

どのような方に覚えていただいたらいいのか。


それは、命の創り主。

この世界のあらゆるものに思いを届かせ、覚えていてくださる方。

その方に託す、その方を頼みとする。

この命をその方に返していく。

そうやって、この命は本当の居場所を得るのです。


このように信じて。イエスさまの十字架に倣って。

命の源であるお方に、その命を委ねて、ちゃんと返した方々を、わたしたちは知っています。

わたしたちに先だって、「このように生き、このように死ぬのだ」と、示してくださった方々がおられるのです。

その方々の証しが天に積まれたわたしたちの富です。

共に喜び、その富を分かち合うことができたらと思うのです。



講壇のお花。

 
 
 

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