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2019.11.17説教要約 ルカ18:35-43「ただ憐れみを乞う」

  • 2019年11月27日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ルカ18:35-43 2019.11.17

「ただ憐れみを乞う」        井上創牧師


目の見えない人が道ばたに座って、物乞いをしていました。

この人は、物質的な欠乏や、身体的な痛みだけではなく、孤独、寂しさといった精神的なつらさも抱えていたことでしょう。


そういう状況に置かれて、わたしならきっと、なぜわたしがこんな目に遭わなければいけないのかと思うことでしょう。

神さまは、わたしをこの痛みと貧しさの中に放ったままにしておられる。

そんなふうに、原因を究明して、追求して、そこに憤りを、やるせなさをぶつけたくなってしまうだろうと想像します。


しかし、この人が求めていたのは、ただ「憐れみ」でした。

この憐れむとは、その辛さを共に味わうということです。

神さまがなぜ自分にこのような試練を与えておられるのか。

その答えを求めているのではないのです。


なぜこの世界はわたしに刃を向けるのか。

なき者であるかのごとくに扱うのか。

そういう恨み辛みではない。

ただ、この切なさを、共に抱いて欲しい。

憐れんでほしい。

この人はそれを望むのです。


イエスさまは、きっと、その姿勢の中に、信仰を見つけられたのです。

つまり、自分に与えられたものを、悪いとか、ダメだとか言ったりしないで、

それは確かに辛いけれども、神さまがその辛さを知っていてくださる。

気がついてくださると信じて、声をあげる。

そういう信仰に生きる人を、神さまは見捨てておかれるのでしょうか。


そうではありません。

語りかけてくださるのです。「何をしてほしいのか」と。

 
 
 

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