top of page

2019.10.6 説教要約 ルカ16:1-13「隣人のためならば」 

  • 2019年10月16日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ルカ16:1-13 2019.10.6

「隣人のためならば」        井上創牧師


管理人は、お金の管理を任されますが、

わたしたちも、神さまから、命や、時間、財産や賜物を預かっています。


そういうものを十分に使い切っていると言えるでしょうか。

神さまが、いつそれらを、「もうそろそろおしまいだよ」と取られるかわかりません。

であれば、今わたしは残りのものを、命を、時間を、この体を、いかに賢く用いていけるでしょうか。


イエスさまは言うのです。

あなたのものではないその宝物を用いて、他者を喜ばせてみたらどうだろうかと。

相手に譲ってみなさい。どれだけ、喜んでもらえることか。


相手に譲ることは難しいことです。

誰も、きっと心の中に譲れない部分があるからです。

それは己自身の正しさでできています。


自分の信じる正しさを相手のために削っていくことができるかどうか。

そういう姿を通して愛を表すことができているかどうか。

イエスさまは間違いだらけのわたしたちを大切に思うあまりに、その命ごとすべてを譲ってくださったのです。


正しいと信じるものを、相手に合う形に仕立て直して、受け取ってもらう。

そうやって宣教は行われてきました。

そして、これからも、教会を訪れる人に合せて、わたしたちは変わっていくのです。

訪れる人を自分たちの形に押し込めるのではないのです。

空いている部分を埋めてもらうのではないのです。


相手に合せて譲っていく。

隣人のためならば、自分には「不正」と思えることあっても。

それが、宣教なのではないでしょうか。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.5説教要約 Ⅰコリント 3:10-22 「あなたがたが神殿」        井上創牧師

わたしたちはイエス・キリストを土台にして、それぞれに建物を建てていきます。これらは金でできていたり、藁でできていたりしますが、それらは優劣がつけられるものではありません。たとえ、わたしたちが日々積み上げていく証しが燃え尽きて、消えてしまったように見えても、それがキリストを土台としているのであれば、火によって精錬されたもののように、その救いは確かなものとして残るのです。  なぜなら、わたしたちが建て

 
 
 
2026.6.28説教要約 マタイ 16:13-20 「岩の上の教会」          井上創牧師

イエスさまは言いました。「シモンよ、あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」。この言葉に基づき、カトリック教会は初代の教皇はペトロであるとしています。天の国の鍵とは、罪の赦しを与える権限であると考えられ、やがて教皇には絶大な権力が集中していくこととなりました。  しかし、宗教改革によって生まれたプロテスタント教会は、このような権力の集中に至る「伝統」に疑問を唱え、「聖書のみ

 
 
 
2026.6.21説教要約 ルカ 18:35-43 「見えるようになりたいのです」   井上創牧師

連れてこられた盲目の物乞いにイエスさまは問います。「何をしてほしいのか」。これは、「わたしに何ができると信じているのか」という意味なのではないでしょうか。つまり、わたしにとってイエスさまはどのようなお方なのかという、信仰の告白が求められているのです。  既に盲人はイエスさまを「ダビデの子」と呼んでいました。これは、一般的な、そして伝統的なメシアに対する尊称です。しかし、イエスさまが救い主であること

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page