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2019.10.27 説教要約 ローマ3:21-26「何もしないし、何もできないけど」

  • 2019年11月9日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ローマ3:21-26 2019.10.27

「何もしないし、何もできないけど」 井上創牧師


しなければならないこと、せねばならぬと言われていることをしたから、救われるのではないというのが、信仰義認という考え方です。

何もしないし、何もできないけれど、ただ信じた。

それでいいというのが、イエスさまの救いなのです。


わたしは救われている。

そう信じたから、みなさんは洗礼を受けたのではないでしょうか。

救われたいと思っている人、あるいは救われるとはどういうことかを知りたい人が、教会を訪ねて来ます。

そういう人たちに、救いはここにあると。わたしは救われたと、そう信じていると。胸を張って、ここにいてください。その姿を、見せつけてください。

たとえ何もしなくても、何もできなくても、それはできるはずです。

最後の時まで、そうやって生きていきましょう。それが、わたしたちのチャレンジです。


そういうわたしたちに触れた人たちが、イエスさまの香りを感じてくれるならば、その人たちがわたしたちと一緒に、あるいはわたしたちの代わりに、改革を担っていくことでしょう。

もっと、このイエス・キリストの救いというかぐわしい供え物を共に分かち合っていけるようにと。さまざまな工夫をしていってくれることでしょう。


忘れないでください。

わたしたちは、救いを求めて集まっているのではないのです。

何もできなくても神さまから愛された者、もう救われた者としてここにいるのです。

 
 
 

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