top of page

2020.1.26説教要約 マタイ4:12-17 「この世界の片隅で」

  • 2020年2月6日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年2月11日

説教要約 マタイ4:12-17 2020.1.26

「この世界の片隅で」        井上創牧師


15節に、ガリラヤは「ヨルダン川のかなたの地」と呼ばれています。

遙か遠い異世界と思われていたのでしょう。

暗い闇の世界であり、死に満ちた陰気な地であったと。

そういうところに差し込んだ光、大きな光がイエスさまであったのです。


12節、イエスさまはガリラヤに「退いた」とありますから、

何か逃げ隠れしているようにも思えますが、

行った先で、まさにヨハネと同じ言葉をもって宣教を始めたのですから、

これは難を避けたわけではないということでしょう。


暗闇の地、死の陰の地と呼ばれるようなその地方こそが自らの赴く地であると見定め、

そこへ向かったということです。

小さく、弱くされた者たちの住むところ。

イエスさまはいつも、そこへ向かわれるのです。


イエスさまはいつも負ける者と共におられました。

ご自身も負け続けて、最後は十字架で殺されてしまいます。

この十字架は敗北者のシンボルです。

しかし、それだからこそキリスト者は負けることを恐れないのです。

負けているときこそ、イエスさまはわたしと共にいてくださると喜ぶことができるのです。


ここにいるわたしは、大きな世界の流れの中で、あぶくのように生まれては消えていくような小さな存在かもしれません。

しかし、そういうわたしに、この世界の片隅で生きるわたしに目を留め、選び、側に来てくださるお方がいるのだということ覚えていることができたらと思うのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.3.1説教要約 ルカ 19:1-10  「救いがこの家を訪れた」      井上創牧師

ザアカイは木に登ってまでもイエスさまを見たいと願いました。一つ前の物語、目の見えない人が周囲の制止を振り切ってイエスさまを求めて叫び続けた心情と重なるように思えます。ザアカイもまた自分の在り方に揺らぎを覚え、心の奥底では助けを求めていたのではないでしょうか。  ザアカイはイエスさまから「あなたの家に泊まりたい」と言われたときに喜びます。地位の高い人や高名な人が集落を訪れたとき、その人を泊めるのはそ

 
 
 
2026.2.15説教要約 ヨハネ 11:17-27「このことを信じるか」       井上創牧師

亡くなったラザロの姉妹であるマルタは、「死者が終わりの日に復活する」という教えを知っていました。「イエスさまが神さまに願うことは、かなえられる」ことも知っていました。おそらく、マリアも知っていたでしょう。しかし、実際に兄弟の死を前にしたとき、彼女たちの心は悲しみに支配されていました。そこでイエスさまはマルタに問うのです。「信じるか」と。  わたしたちは証拠を見せられたり、証明してもらえれば、安心し

 
 
 
2026.2.8説教要約 ネヘミヤ 2:11-20「神さまのご計画」         井上創牧師

ネヘミヤは故郷であるエルサレムの町が荒廃していることを聞いて悲しみました。かつて大国によって攻め滅ぼされたときのまま、城壁も門も壊れた状態で放置されているというのです。  ネヘミヤは仕えていた王から帰国の許可をもらい、更には復興のための支援を受けて、故郷へ向いました。彼はしかし、用心深く一人で町に入り、修復が必要な箇所の視察も夜の内に行いました。復興を良く思わない人たちが町の内外にいたからです。

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page