2020.1.12説教要約 マタイ3:1-17「怒りから愛へ」
- fujimikougenchurch
- 2020年1月25日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年2月11日
説教要約 マタイ3:1-17 2020.1.12
「怒りから愛へ」 井上創牧師
わたしたちは聖霊と火によって、イエス・キリストの洗礼を受けます。
16節、イエスさまが洗礼を受けると、
「天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降ってくるのを御覧になった」。
そうあります。
洗礼を受けると、神さまの支配がわたしたちの上に臨むのです。
霊はわたしたちに神さまの思いを伝えてくれます。17節です。
洗礼を受けるとき、わたしたちも聞くのです。
わたしもまた、神さまの愛する子として生きることができるのだということ。
こんなわたしでも神さまの御心に適った働きができると、神さまご自身が信じていてくださっているということ。
おそらく、この地上で生きている限り、わたしの性根は変わらないのです。
しかし、変わらないからといって、それが諦めていい理由にはならないのです。
なぜなら、神さまがまだわたしを諦めていないからです。
わたしがわたしの意志で変わることは難しいのかもしれません。
しかし、神さまができると言ってくださっている。
御自分の命の火によって、わたしのどうしようもない罪を焼き滅ぼし、
わたしを愛し、信じてくださっている。
その神さまの思いにかけてみたいのです。
自分の意志や力を信じるのではなく、神さまが信じてくださるわたしを、わたしも信じてみたいのです。
わたし自身ではなく、神さまを信じる。神さまの方を向く。
これが、本当に意味で「悔い改める」ということなのではないでしょうか。
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